1964年東京オリンピック開催時、選手村総料理長を務めた馬場久氏を師事し日活ホテルに入社。「本場のフランス料理をこの目で確かめたい」という思いを募らせ24歳で渡欧。
スイスの「アスコットホテル」を皮切りに「ネグレスコ」「パピヨンホテル」「コッションドール」と渡り、モンテリマールの「レストラン・エンペラー」でナポレオンと呼ばれる料理長にその腕が認められパリの「マキシム」へと移る。フランスでTakahashiの名前が脚光を浴び、その後も「パリ・ヒルトン」「ポンヌオーベルジュ」など7年間で13件、ミシュランの星に輝くレストランで料理人としての腕を磨き、本国でも年間わずか数名しか選出されないフランス料理人国家資格「シェフ・ドゥ・ランク」を取得。